北野勇作の甲羅

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コトリ会議「しずかミラクル」とSFのこと

 コトリ会議の「しずかミラクル」という芝居を観た。前からコトリ会議は気になっていて今回初めて観たのだったが、とてもおもしろかった。

 ネタバレになると迷惑だろうから詳しくは書かないが、まずSFなのである。宇宙人が出てくる。頭にアンテナを生やした宇宙人である。だいたい最近のSF、とくにSF小説では、「宇宙人」という言葉はまず使えない。子供の頃、普通に使っていた、というか、SFの象徴みたいなものであった「宇宙人」は、もう過去のもので、「地球外知生体」とか、近いところでもせいぜい「異星人」である。でも、一般には宇宙人という言葉自体は昔と同じように同じ意味で使われている。

 なんとか星から来たなんとか星人みたいなのも、なかなか使えない。そのなんとか星はどこにあって、そこからどうやって来たのか、とかそんなことがけっこう問題になるのだ。とくに小説では。めんどくさい。もちろん、そういうことを詳しくやるおもしろさもあって、そういうおもしろさもいいとは思うのだが、そうではない宇宙人のおもしろさみたいなものもSFの喜びだったはずなのだ。どちらかと言えばそういうことでSFが好きになったはずで、今もそういうことをやれたらいいと思うのだが、なんだか不自由なのだ。読者も不自由になっているし、書き手も不自由になっていると思う。「我々は宇宙人だ」と言って宇宙人が来たっていいと思うのだが(なにしろ、宇宙人だ。何をするかなんてわからない。)、なかなかそれはできない。ギャグとしてはできるのだろうが、それはそれでなんか違う。そういうことではないのだ。

 で、この「しずかミラクル」だが、先に書いたように宇宙人が出てくる。宇宙人と呼ばれている宇宙人が出てくる。光線銃を持っている。タイムトラベル薬(ぐすり)が出てくる。もちろん、飲んだらタイムトラベルできる薬なのである。

 それがべつに笑わせるためではなく(いや、もちろん笑うけど)、お話の中の道具として普通に機能している。めんどくさいことをすっとばしているのである。めんどくさいことをきちんとやるのがSFだ、という考えもわかりますけどね、でもすっとばしてしまうのもSFではないか、とも思う。それにしても、うまくすっとばすもんだなあ、こういうのは演劇だから成立することなのかなあ、と諦めてしまうのはあまりにも悔しくて、やっぱり小説でなんとかしたいなあ、と考えているところです。

 ということで、とてもおもしろいので、機会があれば観たらいいんじゃないかと思います。

コトリ会議